乳がんは、女性患者の罹患率が1位のがん種であり、患者数は年々増加している。乳がんの5つのサブタイプの内、最も予後が悪いトリプルネガティブ乳がん (TNBC) は、他のサブタイプとは異なり、細胞表面にホルモン受容体及びHER2が発現していない。そのため、ホルモン療法や分子標的薬の効果が期待できず、抗がん剤による化学療法が第一選択となる。しかし、長期投与による薬剤耐性の獲得などにより、病理学的奏功は約3割にとどまっている。このような現状から、TNBCの新しい治療法が求められている。当研究室の先行研究では、TCAサイクルの最初の酵素である、ピルビン酸デヒドロゲナーゼ (PDH)のサブユニットである、PDH-E1βをノックダウン (KD)したTNBC細胞株 (MDA-MB-231細胞)を、ヌードマウスに移植すると、腫瘍形成能が低下することを明らかにした (Cancer Res, 2018)。本研究では、PDH-E1β KDによる腫瘍形成能低下機構を明らかにし、TNBCの新規抗がん剤開発につなげることを目的としている。がん幹細胞は、高い腫瘍形成能を持つ。また、細胞外マトリクス (ECM)分解酵素の発現量の増加による、基底膜の破壊や、細胞間接着因子の発現量の減少による、がん細胞の運動能の獲得は、がん細胞の浸潤を引き起こす。そこで、PDH-E1β KDが、がん幹細胞、ECM分解酵素、細胞間接着因子に及ぼす影響を検討した。乳がん幹細胞マーカーの一つである、CD44+/CD24-の細胞の割合は、野生型とPDH-E1β KD細胞では顕著な違いは見られなかった。マトリクスメタロプロテアーゼ (MMP)の内、4つのアイソフォームのmRNA量が、PDH-E1β KD細胞で増加していた。細胞間接着因子のmRNA量については、mRNA量が増加した因子及び、減少した因子の両方が見られた。次に、PDH-E1β KDによるMMPのmRNAの増加が、腫瘍形成能に及ぼす影響を検討した。腫瘍形成のin vitroモデルとして、スフェロイド形成能を検討した結果、PDH-E1β KD細胞では、野生型と比較して、スフェロイド形成能が顕著に低下していた。この時、PDH-E1β KD細胞にMMP阻害剤を添加したところ、野生型と同様の球形のスフェロイドが、PDH-E1β KD細胞でも形成された。これらの結果から、PDH-E1β KDによるMMPの発現上昇が、腫瘍形成能低下に関与することが示唆された。MMPの機能には、ECM分解以外に、アポトーシス亢進、抗血管新生などがある。今後の研究で、PDH-E1β KDによるMMPを介した腫瘍抑制機構を解明し、MMPの活性化剤開発へとつなげていきたい。