我が国における精神疾患を有する総患者数は社会経済状況の変化に伴って近年大幅に増加しており、これら疾患に対する有効な治療薬の開発は急務とされている。我々は近年、不安障害の代表的なモデルマウスである慢性的なコルチコステロン投与マウスが不安様行動・扁桃体依存的な恐怖記憶の亢進を示すとともに、基底外側扁桃体において神経活動の亢進に関わる遺伝子であるCa2+/calmodulin-dependent protein kinase II (CaMKII) αの自己リン酸化及びそれに付随する長期増強現象(LTP)の顕著な増大を報告した(Inagaki R et al., 2018)。加えて、摘出した扁桃体の遺伝子解析によりATP感受性K+チャネルサブユニットKir6.1の顕著な発現低下を同定した。そこで本研究では、不安様行動の原因遺伝子としてのKir6.1の役割を検討するためにKir6.1+/-マウスを用いた表現型解析を行った。Kir6.1+/-マウスは慢性的コルチコステロン投与マウス同様に不安様行動・扁桃体依存的な恐怖記憶の亢進を示すとともに、対照群(野生型マウス)に比べて基底外側扁桃体におけるLTPの顕著な増大を確認した。次いで、音刺激による恐怖条件付け後の基底外側扁桃体における細胞内Ca2+シグナル伝達経路を検討した結果、CaMKIIαとExtracellular Signal-regulated Kinase (ERK) の顕著な活性増大を確認した。さらに、音刺激による恐怖条件付け後のKir6.1+/-マウスの基底外側扁桃体におけるCaMKIIαとERKのリン酸化増大は下流シグナル分子であるGluA1ならびにCREBの活性化を促進し、CREBの活性化は神経栄養因子であるBrain-derived neurotrophic factor (BDNF) の発現量の増大を誘導した。一方、海馬CA1領域においても同様の解析を行ったが、野生型マウスとの間に大きな変化は確認されなかった。これらの結果より、本研究では慢性的コルチコステロン投与モデルマウスにおける扁桃体に依存した記憶形成の増強には、基底外側扁桃体におけるCaMKIIαの自己リン酸化及びLTPの亢進が寄与すること、さらに細胞内Ca2+シグナル伝達系の亢進の要因としてKir6.1の発現量低下が関与していることを明らかとした(Inagaki R et al., 2020)。