【背景・目的】ヒト、動物いずれにおいても麻酔薬の効果に個体差が認められることがあるが、その発現要因については不明な点が多い。本研究では薬剤の感受性と生育環境の関連性に焦点を当て、吸入麻酔薬の感受性に影響を及ぼす環境因子を同定するとともに、その制御機構におけるDNAメチル化の関連性を検証した。 
【材料・方法】同腹のC57BL/6Jマウスを離乳直後よりストレスレベルの異なる飼育環境下で飼育した後、イソフルラン吸入麻酔を実施した。各個体のイソフルランに対する感受性を評価するために麻酔導入時間と最小肺胞内濃度(Minimum Alveolar Concentration: MAC)を評価した。また、麻酔下において各種バイタルサインを測定した。イソフルランに対する感受性差が認められたマウスよりそれぞれ海馬・脊髄を採材し、得られたサンプルを用いてRNA-seqとReduced Representation Bisulfite Sequencing(RRBS)を実施し、遺伝子発現量とDNAのメチル化領域を評価した。RRBSで得られた結果とRNA-seqの解析データの統合解析を行い、遺伝子発現量の変化とDNAメチル化の関連性を検証した。
【結果】慢性ストレス環境で飼育した個体群(慢性ストレス飼育群)では通常の飼育環境で生育した群(通常飼育環境群)と比較し、麻酔導入時間の延長とMACの上昇を認めた。一方、環境エンリッチメントを使用して飼育した群と通常飼育環境群ではいずれの項目においても有意差を認めなかった。慢性ストレス飼育群と通常飼育環境群における個体のRNA-seqの結果より、GABA receptorやTRPV1、ウロコルチンなど、麻酔効果や疼痛に関連する遺伝子の発現量に変化が認められた。Gene Ontology解析によりエピジェネティクスに関連するタームが得られ、さらにHistone deacetylase 7(HDAC7)の遺伝子発現が変動していた。次にRRBSを実施し、RNA-seqのデータとの統合解析を行ったところ、発現が変化した遺伝子の内、DNAメチル化に変化が認められた割合は約1%であり、上記遺伝子のプロモーター領域におけるDNAメチル化には有意な変化を認めなかった。
【考察】本研究より生育環境、特にストレスレベルの違いが麻酔感受性差の発現要因となりうることが明らかとなった。各環境因子による遺伝子発現の変化が麻酔薬の感受性差に関与することが示唆された一方、この遺伝子発現に対するDNAメチル化の関連性は認められなかった。本研究ではイソフルランに対する感受性差が認められた個体間でヒストン蛋白やHDACの遺伝子発現に差異が認められていることから、今後はヒストンのアセチル化を含めたエピジェネティクス制御の関連性を検証することが望まれる。