【背景と目的】Phosphodiesterase 4 (PDE4)のサブファミリーのうち,PDE4Dに選択的に作用するPDE4D negative allosteric modulator (NAM)は,非臨床試験においてPDE4阻害薬と同様に記憶能を向上させるが,他のPDE4阻害薬で問題となる嘔吐の出現が少ないことが報告されている。しかし,PDE4D NAMのcAMP代謝に対する作用と認知機能,嘔吐との関係についての詳細は不明である。そこで,代表的なPDE4D NAMであるD159687を用いて,記憶,嘔気に対するPDE4D NAMの作用と,海馬CA1領域におけるcAMPシグナル経路に対する作用を解析した。【結果】恐怖条件付け学習試験において,D159687は3 mg/kgの用量で文脈記憶の亢進作用を示したが,より低用量の0.3 mg/kg,高用量の30 mg/kgでは亢進作用はみられなかった。この二相性の反応は,スコポラミン誘発の健忘モデルにおいても認められた。次に,嘔吐のスクリーニングモデルであるketamine/xylazine誘発の麻酔時間に対する作用を解析したところ,高用量の30 mg/kgのD159687を投与した場合にのみ麻酔時間が短縮し,嘔気様行動が確認された。記憶亢進作用を示した3 mg/kgのD159687は,ホームケージ内でマウスに投与した際にはcAMP濃度を変動させず,学習刺激と併用することでcAMP濃度を増加させた。一方,高用量の30 mg/kgは,ホームケージ,学習刺激時ともにcAMP濃度を増加させた。cAMP/PKA経路の下流に位置し,記憶形成に関わるCREB,SNAPおよびNR2Aタンパク質のリン酸化について検討したところ,3 mg/kgのD159687は学習刺激後のCREB,SNAP,NR2Aのリン酸化を増加させたが,30 mg/kgでは変化はみられなかった。【結論】PDE4D NAMによるcAMP濃度の学習依存性な調節が記憶亢進作用に重要であること,またそれはCREB,SNAP,NR2Aのリン酸化といったシグナル経路の活性化と関連していることが明らかになった。本研究から,PDE4D NAMの投与量を学習時にのみcAMP濃度が増加する用量域に設定することで,副作用の発現を抑え,記憶能を向上させる有効な治療法の確立につながる可能性が示された。